じゃっきー43歳(2024年3月現在)
自己紹介
- 生年月日:1980年7月10日生まれ
- 出身:愛媛県西条市
- 現在地:兵庫県
- 性別:男性
- 家族:妻、長男、次男
- 血液型:O型
- 星座:かに座
- 職業:看護師(精神科 看護師長)
- 資格:看護師、保健師、衛生管理者、建築物環境衛生管理技術者、簿記3級・2級、FP3級
- 最終学歴:岡山大学大学院保健学研究科
- 職歴:看護師12年、警察保健師3年、大学教員(助教)5年、ブログ歴3年
- 好きな食べ物:チョコレートケーキ・ドーナツ、うどん、チャーハンなど(好き嫌いなしです♪)
じゃっきーの看護職としてのリアルな軌跡
エキストリームに、看護職としてどんな経験をしてきたかを紹介します。
大学病院にて看護師を3ヶ月で挫折
新卒で京都大学病院へ就職するも、初めて働く社会人という環境が肌に合わず、3ヶ月で退職します。
人間関係や夜勤業務、命をあずかる看護師という職業の怖さが社会人1年生のじゃっきーには耐えられませんでした(泣)。
精神科や整形外科からのお誘いや、看護部長の引き止めを振り切って辞めました。
そのときお世話になった看護師長だけには、心からお詫びしたいと今でも思っています。
大学院へ進学して保健師へ転職活動
1ヶ月、実家でプータローとして過ごします。
京都の住所からの手続き中は、住所不定で無職。
母親は私に対する期待が高かったぶん、ショックが大きく鬱っぽくさせてしまいました。
父はめちゃめちゃ温かく、辛かったらいつでも帰ってこいと、言ってくれました。
涙が出るほど安心したし、すごく嬉しかったです。
退職から気持ちが回復して、某大学病院の歯学部に看護師として8ヶ月ほど勤務。
「看護師にはもうなりたくない!」という一心で大学院へと進学します。
大学院へは、保健師の転職活動をするために進学したようなものでした。
大阪府警察本部へ保健師として就職
大学院へ進学すると、もう2度とやるまいと思っていた看護研究に従事。
思いもよらず、ここで看護研究能力の基礎を修得することになりました。
研究を行いながら、2年間は保健師の就職活動を積極的に行います。
けれども、保健師就職は看護師と違って、本当に狭き門でした。
とにかく1次試験が受からない。
もういくつ受験したのか、わからないくらい受験して、わからない数落ちましたw。
東は横浜から、西は鳥取まで全国受けまくりましたね。
運よく2次試験までいっても落ちる。
2次試験の面接で落ちると、自分自身を否定されたようで余計に落ち込みました。
もう保健師はダメだと思い、最後に男性が多い社会の大阪府警を受験。
同時に、東京大学病院へ看護師就職が内定。
ええ〜!大学病院へ先に合格しちゃった、どうしようとオロオロしていた矢先、大阪府警察からも合格をいただきました。
「人間、運が良いときは良い、悪いときは悪い」を体現した連続合格でしたね。
今なら言える「人間万事塞翁が馬」。
大阪府警察本部から大学教員へ
大阪府警察本部では、本当に貴重な保健師3年間を過ごします。
しかし、若い頃ってすぐに仕事を辞めたくなります。
本部から警察学校担当へ異動になるかもしれないと思うと、より憂鬱になっていきました。
明るいじゃっきーはメンタル豆腐です。
豆腐だけに立ち直りも早いですけど。
そんな折、大学院時代の恩師から大学教員へのお誘いの連絡が入りました。
大学院修了がこんなところで役に立つとは思いもよりませんでした。
大学教員から看護師復帰の道
大学教員は、本当に変な人が多かったです。
もちろん、現場を20年以上経験して教授になった方もいらっしゃって素晴らしい先生もいます。
しかし、「この人じゃ看護師や保健師の現場じゃちょっと・・・。」という方もチラチラちらっとw。
〇〇講座という狭い空間なので、パワハラがあっても正直わかりません。
助教同士で他の講座の情報収集会があって、「え?〇〇先生とうまくいってるんじゃなかったん?」
なんて話はしょっちゅうでしたね。
私もその狭い閉塞的な空間に5年勤務。
教員の仕事は多忙を極め、人間関係もドロドロしているし、家庭よりも仕事優先にしなければならない環境が自分には無理〜!
となって、看護師に戻る決断をしました。
転職サイトへ登録して、精神科病院へ就職
「ナースではたらこ」や「レバウェル看護」、「ナース人材バンク」といった転職サイトへ登録。
ブランクがあっても歓迎されて、残業がほとんどない、精神科か療養型の病院を探してもらいました。
すぐに見つかって、あっという間に採用が決まり、看護師主任で内定を得ます。
経験をすごく評価していただいて、本当にありがたかったです。
第二の看護師人生は、主任からスタート。
看護師になってからは、子育てとプライベートに重点をおき、仕事は家庭の次という順番になりました。
- 子どもの行事には絶対参加
- 家事も自分ができることをしっかり行う(ゴミ集め、風呂掃除は私の仕事、洗濯物干し、食器洗い、子どもの習いごと送迎)
ブログも始めて、自分の人生を楽しむという考えにシフトしました。
精神科「解放病棟」看護師長1年目
2024年3月現在、「認知症専門病院」の看護師長1年目です。
- 精神科(認知症)の閉鎖病棟7年勤務
- 精神科(認知症)の解放病棟(療養病棟)4年目
ゆる〜く看護師をしていて、定時退社を守っています。
(業務が多忙のとき以外は)ムダな残業は一切しません。
残業しないで空けた時間は、プライベートの充実にフルベットです。
通勤はもっぱらYouTubeで、自分の好きな動画を見て自己学習して、休日はブログサイトの運営を楽しんでいます。
YouTubeの自己学習の影響で、お金の勉強をはじめて「簿記3級・2級、ファイナンシャルプランナー3級」も取得しました。
近い将来は、看護師の壁を超えて自由に生きていきます。
30代後半で、「自分の家族や大切な人のためを思って時間を使って生きていく。」
時間の大切さに気づけて良かったと心から思っています。
1度きりの人生、自分の夢を実現するために、「今日も1歩だけ前へ。」
「X(旧Twitter)」で気軽にフォローしてくださいね!